「みんなに人気のパン」のランキングがあったとイメージしてみてください。
3位と2位は、次のような結果でした。
3位:あんパン。
2位:メロンパン。
では、1位はなんでしょう?
意外なことに、答えは「食パン」だったのだそうです。
拍子抜けするような結果ですが、しかしここには重要な問題があります。
人気1位であるにもかかわらず、多くの人が食パンを思いつけなかったということ。それは、どう考えても不思議なことなのではないでしょうか?
そして、ここからわかることがあります。
大切なのは、「1位=食パン」を連想するためには、どんな頭の使い方をすればいいのかということ。
別な表現を用いるとすれば、頭を使うことが大切なのです。それは、論理思考の力。
これこそが、『あの人はなぜ、東大卒に勝てるのか―――論理思考のシンプルな本質』(津田久資著、ダイヤモンド社)のコンセプトです。
その本質を探るべく、「虹はなぜ7色なのか」という問題に迫ってみましょう。
■外国だと虹は何色になるのか
ここで著者は、「色を表す言葉」を取り上げています。どういうことだかおわかりでしょうか?
日本では一般的に、虹は7色です。でもアメリカでは、6色だといわれているのだそうです。
しかし著者は、「虹は7色だ」と語るアメリカ人に会ったこともあるそうで、また他の地域や時代によっては8色、5色、3色、2色などバラバラなのだといいます。
では、どれが正しいのかといえば、答えはシンプル。
正解はないのです。
なぜなら虹は、赤外線と紫外線の間の光の波長。つまり実際にはすべてが切れ目なくつながっているから。
つまり私たちが「虹は7色だ」というとき、私たちは色を表す言葉を用いて、そこに境界線を入れているわけです。
■グラデーションにマジックが
虹のなかでも、私たちが「橙(だいだい)」と呼ばれている部分には、赤に近い部分もあれば、黄色に近い部分もあります。
本来なら、そこに明確なギャップはないはずです。グラデーションを媒介して、すべてが成り立っているわけです。
ところが私たちはそこに「橙」という言葉を加えることによって、「橙の部分」と「そうでない部分」とに境界線を入れているということ。
だとすれば、その分け方は「言葉次第」だということになります。極端な話をするなら「30色だ」といってもいいし、「2色だ」といっても間違いではないことになるということ。
著者がこの話をすると、「それって『定義』をしているということでしょうか?」と指摘を受けるのだといいます。
その問いに対しての著者の答えは、「それは正しい」というもの。なぜなら「これはAである」という定義は、「これ」という現実に対して、言葉「Aで境界線を入れる行為だからです。
そもそも英語の「定義(definition)」という言葉そのものが、本来的に境界線としての意味を持っているのだといいます。
「定義する(define)」の語源となっているラテン語の動詞「definio」はもともと、接頭辞「de-(十分に)」と「finis(終局、境界)」からきており、もともとは「境界線をはっきりさせる」というニュアンスを持っているのだそうです。
■言葉をはっきりさせて考える
また、日本語の「ことば」の語源は、「ことのは(言の葉/言の端)」。一方で「現実の一端しか表していない」という解釈もあるといいます。
しかし、著者の解釈は少し違います。現実を切り取る端の部分、つまり「境界線」こそが言葉だという考え方もできるのではないかというのです。
もちろん決定的な答えはありませんが、どうあれ著者はこう結論づけています。
「いずれにしろ、『バカの壁』が入らないように境界線を入れるというのは、言葉をはっきりさせて考えるということになるのである」と。
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すなわち著者がいいたいのは、どれだけ知識があるとか、どんな高学歴だとかいうことではなく、重要なのは「どれだけ論理的思考」ができるかということ。
そのような本質を見極めるという意味で、本書には大きな役割があるといえます。
(文/書評家・印南敦史)
【参考】
※津田久資(2015)『あの人はなぜ、東大卒に勝てるのか―――論理思考のシンプルな本質』ダイヤモンド社