会社の寿命30年説が関係?元社員が明かすフジテレビ凋落の真相

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2016.04.13

suzie.20160413

『フジテレビはなぜ凋落したのか』(吉野嘉高著、新潮社)とは辛辣なタイトルですが、それもそのはず。

現在は筑紫女学園大学現代社会学部教授であるものの、著者は1986年にフジテレビに入社し、情報番組、ニュース番組のディレクターやプロデューサーのほか、社会部記者などを務めてきた人物なのです。

つまり、いい時代もそうでない時代も見てきたわけであり、だからこそ、ここに書かれている内容にはとてもリアリティがあります。

しかも共感できるのは、内部にいた人間だからと主観に偏ることなく、可能な限り中立な立場をとることを意識している点。

フジテレビの歴史を1970年代までさかのぼり、以後の番組改革や組織の変化を確認しつつ、その軌跡を再確認しているのです。

つまり“ファクト”を主軸として据えることにより、内部からの視点を維持しつつも、客観性を失っていないというわけです。

そうすることによって、タイトルにもなっている「フジテレビがダメになった理由」を明らかにしようと試みているわけですが、なかでも特に注目すべきは、著者が最終章で「企業の寿命」に焦点を当てている点です。

■フジテレビは本当に寿命なのか?

「フジテレビは終わった」「もうだめだ」と、その凋落がメディアを賑わせるようになったのは、2011年あたりから。

ご存知のようにフジテレビは、結果として多くの大ヒット番組を生むことになった「80年改革」によって“テレビの王者”としての立場を獲得したわけですが、はからずもそこから30年ほどを経たことになるわけです。

ここで著者が指摘しているのは、企業経営者にとって「30年」という数字が不吉なものであるということ。

1983年に『日経ビジネス』が打ち出した「会社の寿命30年」説によれば、企業が「繁栄を謳歌できる期間」は平均で30年だというのです。

また、それから30年後の2013年に、改めて時価総額をベースに「日本の企業が輝いていられる時間」を算出したところ、わずか18.07%とかなり短くなっていたとか。つまり日本企業の短命化が、急速に進んでいるというわけです。

だとすればそれは、80年改革から30年以上を経ているフジテレビは、もはや寿命が尽きたということなのでしょうか?

その点について、著者は次のように記しています。

「フジテレビの現状を振り返れば、フジ・メディア・ホールディングスが誕生して、事業の数が増え、組織運営が複雑化した。次第に個性的な“テレビバカ”は絶滅危惧種となり、社員が事務作業をそつなくこなすような優等生タイプに均質化されてきた。まさに“会社の老化現象”にぴったりとあてはまるのだ。(208ページより)」

■起死回生のチャンスはきっとある

それはともかく、そうなのだとすればここでひとつの疑問が持ち上がります。現在のフジテレビを覆っている沈滞ムードは、企業のバイオリズムにおける“波”にすぎないのかということです。

つまり、業績が再び上向いてくれば消えてなくなるものなのか、それとも人間の老化現象のように、不可逆的なものなのかということ。

このことについて著者は、前者だと考えていると記しています。つまり、フジテレビにも起死回生のチャンスはきっとあるはずだということ。

■再生に必要なのは「社風の一新」

そして、そのために必要なのは「社風の一新」。社風が変われば、社員の表情が変わり、行動が変わるもの。つまり社風を一新することで、それが再生の力になるということです。

しかし、だからといって、イケイケだった80年代の社風に戻るわけにもいかないはず。それは、自殺行為ともいえるかもしれません。

では、どうすればいいのでしょうか? その結論として著者が提示しているのは、“場”をつくること。

立場の違いを超えて、異質な人とも腹を割って話し合う“場”を設けるという手法は、これまで多くの日本企業の労働慣習として行われてきたこと。

そんな、価値観や目標を共有する“場”を再生させ、“ものづくり共同体”を復活させることができるかどうか。

そこにフジテレビの未来がかかっているというのです。

フジテレビを肯定するか否かは別としても、“フジテレビ論”としては非常に優れた内容であると感じます。

しかし、ここに書かれていることの多くはフジテレビだけでなく、伝統を持つ多くの大企業に同じことがいえるのではないでしょうか?

そういう意味でいうと本書は、企業社会への警鐘だとも表現できそうです。

(文/作家、書評家・印南敦史)

 

【参考】

※吉野嘉高(2016)『フジテレビはなぜ凋落したのか』新潮社

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