2013年にハリウッド女優のアンジェリーナ・ジョリーが、がん対策のひとつとして、自らの乳房と卵巣の摘出手術をしたことが話題になりました。
彼女の選択については賛否両論ありましたが、がんへの恐怖はセレブであっても同じなのですね。
2011年の国立がん研究センターによる統計によると、生涯でがんにかかる確率(累積罹患リスク)は、男性は62%、女性は46%です。つまり俗にいわれる「日本人の2人に1人はがんになる」というのは、決しておおげさな数字ではないということがわかります。
実際にがんで死亡するのは圧倒的に60代以降ですが、それでも「万が一」を考えて、若いうちからがん保険などに加入する人は少なくありません。事実、20代だと5人に1人、30代になると5人に2人ががん保険・がん特約(全生保)に加入しているというデータがあります。
しかし、そこまで備えても、本当にがんになったときに平静でいられる人はごくわずかなのではないでしょうか。おそらくほとんどの人が、「なぜ自分ががんに?」と事実をすぐには受け入れられないことでしょう。
がん患者にクスリではなく、言葉を処方する「がん哲学外来」という社団法人団体があります。そこからうまれた「がん哲学外来メディカル・カフェ」は、2008年以来、またたく間に全国に広まり、いまや90ヶ所にものぼるといいます。
がん哲学外来の理事長を務める樋野興夫先生に、処方される言葉について、また、メディカル・カフェというローカルな場の持つ力についてお聞きしてきました。
■うつ的症状がでたときはどうすればいいのか
がんと宣告されて、初めから笑っていられる人など、まずいないでしょう。それどころか、笑いが消えてなくなる人がほとんどではないでしょうか。
実際、がん患者の3割にうつ的症状があるといわれるそうです。
樋野先生はいいます。「そんなときは、1時間、部屋に閉じこもって深刻に考え込むといいんです」
「その心は?」とお聞きすると、「人間は、1時間以上は深刻に考えられない生物なんです。1時間もすると、部屋を出て、ちょっとお茶でも飲もうかという気分になるんです。中途半端に悩むから、一日中悩むことになる」とのこと。
これは、普通の悩みにも効き目がありそうですね。
■クオリティ・オブ・デスという新しい価値観
2008年以来、3,000人以上の患者さん・ご家族に言葉を処方してきた樋野先生。十人十色の患者さんに、それぞれに合った言葉をどのように選んでいるのでしょうか。
「頭の引き出しのなかにある、若いときに読んで感銘を受けた言葉や自分が心得としている言葉をポンポンいっているだけ」だそうです。
「患者さんの風貌や顔をみていると、『この人にはこういう言葉がいい』という発想が出てくるんです」
そんな樋野先生が患者さんに贈る言葉は、ときにドキッとするものもあります。
「あなたには死ぬという仕事が残されている」
こんなことをいわれると、初めはショックを受ける人がほとんどですよね。
「いまの日本で死は日常から切り離されています。クオリティ・オブ・ライフはあっても、日本にはまだ死の質を高めるという意味のクオリティ・オブ・デスはまだないのです」
その観点からすると、「死は悪いものではない」という考えなのでしょうか、とお聞きしたところ、「悪いものというよりは、仕方のないもの、不条理なもの」というお答えが返ってきました。
ただ、患者さんが若かったり、子どもがまだ小さかったりした場合、なかなかそう割り切れるものではないと思います。
その点をもう少しお聞きすると、「それはもう不条理だから、なんのために生まれてきたのか、考えるしかないのです。自分の人生を残された人へのプレゼントとして生き切るという意味で、死ぬという仕事と言っているのです」と教えていただきました。
がんはそれに向き合うきっかけに過ぎない、ということなのですね。
■心の痛みに対応するには傾聴だけでは不十分
メディカル・カフェでは、言葉についで、「対話」を大切にしています。病院や、ときには家庭でさえも得られない「対話」を求めて、患者さんはカフェに集います。
樋野先生によると、対話とは、たんなるおしゃべりではなく「心と心のコミュニケーション」。
対話は、最近注目されるようになった「傾聴」ともまた異なるそうです。「傾聴は話を聴くことが中心で、聴き手が話す割合は全体の二割程度」であり、「心の痛みに対応するには傾聴だけでは不十分」と樋野先生は考えます。
カフェでは、他人の意見の否定や非難はしない、カフェで知った情報は他言しないなどの決まりがあるので、患者さんの尊厳やプライバシーは守られます。
病院でも、家庭でも埋められない、医療や心の隙間をうめる仕組みとしてのメディカル・カフェは、その必要性のためか、いま全国でどんどんその数が増えているそうです。
カフェの運営には医療事業者をはじめ、多数のボランティアが関わり、がん患者以外にも、がんを克服した人や、がん患者の家族も訪れることも少なくありません。
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がん哲学外来で実際に処方されてきた言葉をあつめた『あなたはそこにいるだけで価値ある存在』が、先月KADOKAWAから出版されました。
一読して、がん患者でなくとも、心に響く言葉ばかりだと思いました。どう生きるか、またどう死ぬかを見つめるのに、早すぎることはありません。どうぞ手にとってみてください。
(文/石渡紀美)
【取材協力】
※樋野興夫・・・1954年、島根県出身。順天堂大学医学部病理・腫瘍学教授、医学博士。米国アインシュタイン医科大学肝臓研究センター、米国フォックスチェイスがんセンター、癌研究所実験病理部長などを経て、現職。
一般社団法人「がん哲学外来」理事長。癌研究会学術賞、高松宮妃癌研究基金学術賞、第一回「新渡戸・南原賞」などを受章。
『明日この世を去るとしても、今日の花に水をあげなさい』(幻冬舎)、『がん哲学外来へようこそ』(新潮新書)、『いい覚悟で生きる』(小学館)、『見上げれば、必ずどこかに青空が』(ビジネス社)など、著書多数。
【参考】
※樋野興夫(2016)『あなたはそこにいるだけで価値ある存在』KADOKAWA
※最新がん統計-国立研究開発法人 国立がん研究センターがん対策情報センター
※平成25年度「生活保障に関する調査」-公益財団法人 生命保険文化センター